SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

家族をめぐるイデオロギー対立のゆくえ ―坂元裕二『最高の離婚Special 2014』

 昨年1~3月期に放映されたドラマ『最高の離婚』について、私は以前、次のように書いた。

『それでも、生きてゆく』の脚本家が、これほどすっきりしたハッピーエンドを認めたことに、釈然としない思いは残る。(略)今回は視聴者と幸福な関係を取り結んだようにみえる坂元裕二。またいつかの浮気に、早くも期待したくなってきた。
―『PENETRA vol.2』所収「最高のレクイエム ―坂元裕二が『最高の離婚』で葬送したものたち」

 ドラマがどのような結末を迎えるのか、視聴者は固唾を呑んで見守っていたことだろう。過去の坂元作品の経験からすると、おそらく一筋縄でない、それでいて納得するほかないような着地点へストーリーが収束していくものと思われた。ところがそこに、驚くほどストレートなハッピーエンド(=光生と結夏の復縁)がもたらされたため、ひとりの受け手として素直に安堵する一方、どこか居心地の悪い引っかかりを覚えたのである。上述した「最高のレクイエム〜」では、そうした引っかかりが解消されるのはいかなる文脈においてかを論じたつもりだ。坂元はその後、7~9月期に日テレ系『Woman』を手がける。満島ひかりの好演が光る良質な作品だったが、難病との闘いや母親との確執・和解がテーマという路線の違いもあり、『最高の離婚』のインパクトを更新するまでには至らなかった。そこへ飛び込んできたのがスペシャル版制作決定の知らせ。嬉しさの反面、好評を博したドラマ版に付け足すことなど何もないように感じられたし、じっさい、放送後には辛辣な意見も聞かれた。わざわざ続編を作ってまでふたりの仲を引き裂く必要があったのか、企画ありきの蛇足ではないか、というのが代表的な批判である。だが、スペシャルの内容をひも解いていくと、そうした印象は次第に変化してくるように思う。手がかりとなるのは性的なイメージの反復。本稿は、作品中で棒状のものが果たしている役割に注目したうえで、スペシャル版の鳥瞰をこころみる。同時に、比較対象として球状のものにも言及していく。これらを全体として眺めるとき、ドラマシリーズの枠組みを食い破ろうとする『Special 2014』の挑戦的な企みに気づかされるはずだ。そこで繰り広げられるのは、家族と生殖をめぐるイデオロギーの激突。今となってはこう結論づけるしかないだろう。光生と結夏は一緒にいられるはずがなかった。続編はこのように書かれるしかなかったのだ、と。

最高の離婚 Special 2014 [Blu-ray]

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 ◆尿管結石
 棒状のもの、その登場は直接的だ。大晦日、結夏(尾野真千子)の実家にやってきた光生(瑛太)は、親族一同がカウントダウンで新年を祝うさなか、突如として尿管結石の激痛に見舞われる。立っていることすらままならず、トイレの床を転がって悶える光生と、背景に現れる「Special 2014」のタイトルバック。物語はペニス周辺の不調と同期して幕を開ける。排尿とともに生殖を担う器官の近くに、固く、容易には流れ出ないしこりが引っかかっているということ。冒頭から踏み込んだ暗示である。さて、尿管結石はもともとドラマ版で結夏の父・健彦(ガッツ石松)が患っていたものであり、それを光生が引き継ぐというつながりにも気を配っておきたい。「不調」という反転したイメージを介してではあるが、鍵となるペニスの持ち主が入れ替わっている。これは再生産(=生殖)のバトンが光生たちの世代へ手渡されたことを示唆してはいないか。結石をめぐる光生と健彦の電話でのやりとり。

光生「いや、大したことないと思うんですけど、一応、お父さんのご経験を伺いたく思いまして」
健彦「覚悟して。人生で一番痛いのが、これからなだれみたいに押し寄せてくるからね」
光生「あっ、でも僕、間違って麻酔してない奥歯抜かれたこともあって」
健彦「俺は、熊と戦ったときの千倍痛かったな。人相変わるよ。俺は結石やって今の顔になった」

 人生で一番痛いというのはふつう、女性が出産の際に体験する痛みを形容するものだろう。光生の「大したことないと思う」という強がりや「ご経験を伺いたく」といった未知のできごとへの戸惑い、結石を通過儀礼のように語る健彦の様子から、会話の内実が再生産をめぐっていることは明らかだ。このシーンでは画面上に、ふたつの球状のものが映し出されていた。結夏が座っている黄色いバランスボールと、電話越しの健彦が腰掛けている青いそれ。球状のものは容易に卵のかたちを想像させる。本作で結夏が最初に登場するキャンプ場のシーンにさかのぼってみても、そこにはやはりバランスボールがあった。

結夏「あ〜……あ〜、寒い。(略)電気ストーブは?」
光生「あなたがね、あれ(筆者注:バランスボール)をね、あれを持っていくって言い張ったでしょ」

 結夏はつねにバランスボールを身近に置こうとし、他方の光生はそれを邪魔者扱い。今いちど電話のシーンを見返せば、星野親子がバランスボールの上にゆったりと馴染むなか、彼ひとりが結石に狼狽えるという構図も、はっきりと意味をまとってくる。光生は子どもをもうけること(=ペニスを使いものにすること)に、出産の痛みが連想されるほどの困難を感じている。

◆ボールペン、レースクイーンみたいな傘、盆栽
 ひょんなことから地域の少年野球のコーチを任された光生。数カットに収まる野球の練習風景はどのように描かれていたか。

光生「じゃあ、まず見本見せるからね。下手でもいいから頑張って。はい!」
少年、ノックするが、光生はキャッチできない。
光生「ちょっとタイミング合わなかったね。もうちょっと芯で捉えて、芯で!」
少年、再度ノックするが、光生はやはりキャッチできない。

 光生がボールを受け止められないことを示すシーンが意図的に選び出されている。続いて福引きの場面へ。

男性「おめでとうございます。はい、五等」

 コーチを引き受ける謝礼でもらった福引券。ガラガラを回して出てくるのは抽選球である。ここで、子どもたちとの交わりから球状のものへという連なりがにわかに発生しかけるが、それはすぐに景品へと交換され、断念される。景品はボールペン。野球ボールとたわむれ抽選球を目の当たりにしても、結局、光生のもとには棒状のものが残る。光生は家路に向かいながらペン回しをやってみるが、なかなかうまくいかず、地面に落としてしまう。そこへ偶然通りかかる諒(綾野剛)のふるまいは、光生の手さばきの悪さをいっそう際立たせるものだ。諒は初恋の人・潮見さん(臼田あさみ)から傘、それも大柄で派手な「レースクイーンみたいな」傘を受け取ると、片手でゆうゆうとそれを回し、楽しそうに連れ立って歩いていく。光生は球状のものとの関わりに再三失敗し、かつ、棒状のものの扱いも定まらない不安定さのなかにいる。家に帰った光生が結夏と衝突するのは当然の流れだった。テーブルのうえにはいくつもの丸い蜜柑が置かれており、光生はそれを手に取るが、皮を剥いて口に入れることはついにしない。

光生「僕らのしたいことなんかできなくなる。もう全部子ども中心になるよ。もう盆栽置けなくなるんですよ(略)恋人同士みたいな夫婦で、いいじゃない?」
バランスボールは電気の消された寝室に追いやられている。
結夏「あなたと私の子どもが欲しいの。わかる? 女が男の人に思う気持ちにそれ以上はないの。そのためにあなたと結婚したの!」
光生「俺はちょっと違うかな。俺は結夏と一緒にいるのが好きだから結婚したわけだし(略)子どもがいないと幸せな家族じゃないってそれおかしいでしょ! 古い考え方だよ!」

 こうして、ドラマシリーズの後半部では影を潜めていた最大の対立がクローズアップされてくる。結夏の考える結婚生活は家族と生殖とが密接に結びついており、思想的には保守的・右派的と分類できるだろう。光生は真逆だ。子どもができることでふたりの関係が変化することを過度に嫌がっている。光生が愛でる盆栽は、棒状のものが決して動きださないこと、静的なもの、観賞用のものにとどまることの象徴としてある。

光生「子ども好きじゃないんですよ。押し付けないでください」

◆ドラマ版との決別、ほのめかされる右旋回
 これほどの思想上の対立を孕みながら、ふたりが生活を共にすることなどありえるのだろうか? スペシャルは終盤に向かう。結夏がバツイチ子持ちの弁当屋(岡田義徳)と北海道へ行きかけた「カシオペア騒動」を経て、ふたりは家に戻ってきている。光生はすぐに婚姻届を出そうと提案し、今度はボールペンをしっかりと握る。それを使って結夏と関わっていく覚悟ができているようにみえる。ところが。

光生「子どものことはもう一回話そう。僕に自信がなかったから。でも、もう一回……」
結夏「ホントはわかってたんだよ。わかってたの。わかってたけど、私もあなたも気づかないふりしてたの。私が思う幸せは、あなたの幸せじゃなかったの。あなたが思う幸せは、私の幸せじゃなかったの(略)だからね、気づくのちょっと遅かったけど……。別れよう」

 光生はボールペンに蓋をかぶせるしかない。興味深いことに、結夏の台詞はそのままドラマ版に対するアンチテーゼとしても読み替え可能だ。「ホントはわかってたけど」脚本家も視聴者も「気づかないふり」をしていたということ。物語はかりそめのハッピーエンド(調和)から、スペシャルでのリアリティを伴ったイデオロギー対立へと重心を移す。おそらく、本稿冒頭で触れたところの着地点とはこのようなものだった。わかりあえない同士の登場人物たちが、安易につながり合うことなく、自らの生き方を定めていくこと。それこそを坂元作品の魅力と捉える者からすれば、こうした展開はあるべき場所への回帰と受け取れる。難しいのはそのあとだ。結夏が別れを告げたその夜、ふたりは無言で身体を重ねる。目を覚ますと、すでに結夏の姿はない。どれほどかの月日を経て、手紙を書く光生。

昨日、君の夢を見ました。君がたくさんの風船を抱えてくる夢でした。君は無数の風船を僕と自分の体に結び付けました。僕と君は風船に軽く体を持ち上げられて、空を飛びました(略)僕は風に流されて飛んでいくしかない、自分の非力さが少し哀しかったです。

 ピンク色の風船が空を舞っていく様子が挿入される。いうまでもなく、この風船は球状のものである。光生は風船によって運ばれていく自分を眺めて、それを「少し哀し」くは感じても、あってはならないこととは考えなくなっている。これに先立つシーンで、光生の棒状のものから尿管結石が落ちたことも含めれば、子どもの到来を暗示する要素は十分。ふたりを隔てるイデオロギーの対立は、結夏の側・守旧派に軍配が上がって決着するのだろうか? 脚本家は手紙のゆくえを投函の段階に留めることにより、かろうじてオープンエンドの状態を保っている。ここが臨界点だろう。さらなる続編を望む声が聞こえてきたとしても、『最高の離婚』という物語にこれ以上の終わり方があるとは到底思えない。試しに次回作の構想を練ってみるといい。そこにはほぼ間違いなくふたりの子どもが登場するはずだ。今回のスペシャルを、ドラマ版の調和に潜んでいた対立をあえて抉り出したものと考えるとき、子どもの存在がふたたびそれを覆い隠してしまうようであれば、安直のそしりは免れない。

◆「木曜劇場」で異彩を放つ『最後から二番目の恋』
 さて、テレビドラマの続編をスペシャルとして制作する手法は珍しいものではない。近いところでは、『最高の離婚』と同じフジテレビ系「木曜劇場」枠で放送されていた『最後から二番目の恋』のスペシャル版が記憶に新しい。「木曜劇場」は『結婚しない』や『独身貴族』といった過去作品のタイトルからも伺われるように、三十代男女の恋愛・結婚事情をテーマに据えることの多い枠であり、『最高の離婚』もその延長線上に位置づけられる。そうしたラインナップにあって、『最後から〜』はスタートから異彩を放っていた。ドラマ第一話のワンシーン。

千明「あの……ないんだよね」
祥子「なにが?」
千明「ないわけ」
祥子「なにがよ」
啓子「……生理?」
祥子「終わったってこと?」

全文は2014年5月5日(月・祝)開催、第十八回文学フリマで頒布する批評同人誌『PENETRA』第4号に掲載します。ブースはエ-53。