SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

Rinbjo(2014)『戒厳令』

高校生の頃コンビニでアルバイトをしていた。650円という地域別最低賃金を10円刻みに丸めただけの時給と引き換えに、あたら青春を安売りしてしまった感は否めない。が、当時その判断に迷いはなかった。バイト代でとにかくCDを買いたかったのである。1回のシフトでアルバム1枚が手に入る。この単純さに惹きつけられた。地元には幸運なことに輸入レコード店があり、インパクトの強すぎる店員諸氏と彼らのセレクトしたユニークな品揃えが異彩を放っていた。『ラン・ローラ・ラン』の主人公みたいなヘアスタイルをした女性店員は、それほど大きくないクラブミュージックコーナーで目を凝らしている客に、レインボー2000がどれほど素晴らしいレイヴイベントだったかを熱っぽく語った。感化された客がこの棚で真っ先に手に入れるべきCDはどれだろうと問いかけると、彼女はしばしの黙考を経て静かに結論を出した。「デリック・メイの『イノヴェイター』ね。やっぱりこれしかないわ」。店長はもっと変わっていた。『イージー・ライダー』から抜け出してきたような外見で、世間知らずな高校生に学生運動の栄光と挫折を述懐した。「タージ・マハル旅行団」という単語がしょっちゅう会話に出てきたが、それが何を意味するのかは結局最後までわからなかった。あれからゆうに10年以上が経つ。その間にCDの相対価値は目覚ましく低下していった。たとえば大手レンタルチェーンのパック料金なら、アルバム1枚あたりたった200円で音源が手に入る。ハードディスクにCDと遜色のないデータを保存できる。それで音楽生活が豊かになったのかといえば、別にそんなことはない。ひとつはっきりしているのは、今日CDを買うことは不経済で倒錯的で、ある意味宗教がかってさえいるということ。けれどそこに可能性が秘められている。音楽の価値とそれに支払った対価を等閑視するバカげた発想を逆手に取るのだ。その音楽をあらん限り享受するために、私たちは今こそ高いカネを払ってCDを買うべきなのである。菊地凛子のミュージシャン・デビュー作『戒厳令』は、そんな行いにうってつけの作品と言えよう。彼女は新しいペルソナ=Rinbjö(リンビョウ)をまとって現れた。性や毒を内包する「淋病」と、ウムラウトから伺える「björk」へのオマージュがこのプロジェクトの名刺代わりというわけだ。『戒厳令』は一義的にはプロデューサー・菊地成孔の、ジャンルとスタイルを際限なく横断し折衷しようとする試みに彩られている。インダストリアル、ヒップホップ、ポエトリーリーディング、戦前歌謡、エレクトロニカ、ビッグビート、デジタルハードコア、フォーク、チェンバーミュージック……。英語と日本語と韓国語、独白と挑発とナンセンス。数々の意匠が融通無碍に交差する空間は一聴、遠心力によって駆動されているように思える。だがそんなものは煙幕にすぎない。アルバムが進むほどに意識されるのは、菊地凛子という謎めいた存在だ。『戒厳令』は何とか彼女の存在を解き明かそうとしながら、ついに失敗に終わった作品と言えるかもしれない。謎はどこまでも謎のまま残り続ける。さて、インパクトではけれん味に溢れたアルバム前半に劣るものの、実はM11「angel craft」以降の後半の流れが抜群に素晴らしい。「angel craft」はジーザス&メリーチェインの『サイコキャンディ』を彷彿とさせるフィードバックノイズに、Rinbjöのアンニュイなつぶやきが溶け合う本作のハイライト。続くM12「MORNING」は快楽的なエレクトロニクスの連なりが、白昼夢じみた浮遊感で登場人物たちのシュールなやりとりを演出する。ラストのM14「The Lake」はブルックリンで活動するクレア&ザ・リーズンズのカバー。この曲のファーストコーラスは「あなたが私のための世界を作ろうとも、私はここに留まることができる(I can stay, I can stay even though you built a world to me )」と歌われる。しかし、最後のコーラスではそれが「I can’t stay 〜」へと反転する。容易にはなびかず、取り込まれたら遁走も辞さない。もはやカバーとは思えないほどに象徴的な仕掛けだ。そう、Rinbjöには何人にも左右されない超然とした佇まいがある。『戒厳令』を聴く者はその姿の新たな証人となるだろう。

戒厳令

戒厳令