SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

クリント・イーストウッド(2015)『アメリカン・スナイパー』

あくまでクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)という一人の男の描写に留まろうとする、強い意志。それが『アメリカン・スナイパー』の特徴だ。この作品においては、何が起きていたのかを正しく知りたい、出来事を総体として俯瞰したいという欲望が、厳に慎まれている。それを「主義としての視野狭窄」と形容することも可能だろう。彼が加わったイラク戦争は世界中に多くの波紋を呼んだことで知られる。最大の問題は、開戦の事由とされる大量破壊兵器の存在を証明できなかったことにある。いわく、大義のない戦争。中東石油利権の確保、軍産複合体の陰謀、ネオコンによる独善的な正義の執行……。戦争の是非や背景をめぐりいくつもの議論と解釈が繰り広げられた。だがそうした言説は、いずれもイラク戦争をマクロの視点で把握しようとするものであり、どこか空虚さがつきまとう。たしかにきっかけは利権だったのかもしれない、独善だったのかもしれない。イーストウッドは言う。それがどうした? 仮に答えが出たところで元には戻らないものがある。家を追われたイラクの人々。夫を、父を亡くしたアメリカの家族たち。彼らにしてみれば、戦争の理由など言葉遊びにすぎない。生活の破壊と近親者の死という剥き出しの現実が残されているだけだ。『アメリカン・スナイパー』はそうしたドライな認識に貫かれている。人によってはこの作品を、戦争がアメリカ側からのみ描かれていると非難するかもしれない。大国の傲慢に眼をつぶり、『地獄の黙示録』よろしく現地の人間を残忍な性格と思い込ませ、射殺を英雄的な行為のように称えていると。もしそう思うのなら、結論ありきの映画体験と言わざるを得ない。これをアメリカ目線で制作されたイデオロギッシュな作品と切り捨てるのは幼稚な発想である。『アメリカン・スナイパー』はアメリカではなく、常にクリス・カイルの側に、より正確にはクリス・カイルのみに立脚して撮られているのだから。映画は全編にわたりカイルにフォーカスし続ける。彼を離れてマクロな視点へと浮上することは一度もない。同時に、撃たれる側の人間へ感情移入を促すこともしない。それらの視点を取り入れると、こちら側とあちら側双方に配慮した、あたかも戦争の「全体像」のようなものが立ち上がってしまう恐れがあるからだ。それはイーストウッドの意図するところではない。ハイライトは終盤近く、朦々たる砂塵に包まれてカイルの視界がほとんど利かなくなるシーンだろう。『アメリカン・スナイパー』においては、見えないことがクライマックスとなる。クリス・カイルから決してフォーカスアウトしないことが主張となる。そして、破壊と死という現実だけがこちらを覗き込んでいる。これが「主義としての視野狭窄」であり、本作を傑作たらしめる誠実さのあり方なのだ。

さて、『アメリカン・スナイパー』とテーマを共有する作品として、キャスリン・ビグロー監督の『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)を挙げておきたい。ジェシカ・チャスティン演じるCIA分析官マヤは、ウサマ・ビン・ラーディンの潜伏先を突き止める使命を課されている。捜査は難航が続き、自身も数々の危険にさらされたうえ、親しくしていた同僚の女性を爆弾テロで失うが、ついにビン・ラーディンの所在を明らかにし、特殊部隊による急襲を実現するのだった。友人の死に直面し、報復を誓う筋書きは『アメリカン・スナイパー』と同様だが、『ゼロ・ダーク・サーティ』は対テロ戦争に批判的な立場を取っている。映画の序盤では、CIAが敵方の捕虜に非人道的な拷問を加える場面が描かれた。グアンタナモ基地やアブグレイブ刑務所で、実際に行われていた行為がベースになっているとされる。観客は当然、目的のためならば手段を選ばないCIA=アメリカの非情な姿勢に疑問を抱くことになる。もっとも象徴的なのはラストシーンだろう。ビン・ラーディンの殺害に成功し、マヤはアメリカへ帰る軍の輸送機内にいる。広大な機内に所在なく佇む彼女の姿が、ロングショットで小さく映し出される。そう、彼女は英雄などではないのだ。パイロットにどこへ行きたいか問われても、マヤには返す言葉がない。また『ゼロ・ダーク・サーティ』は、主人公を取り巻く環境をマクロに捉えている点でも、『アメリカン・スナイパー』と異なる。マヤは上司や本国の無理解と身勝手に翻弄されているし、最終的には潜伏先への攻撃許可を求め、自ら政府の説得に動く。ここには社会も政治(駆け引き)もあるのだ。このように『ゼロ・ダーク・サーティ』という補助線を引いてみると、改めて『アメリカン・スナイパー』の異様さが際立ってはこないか。見えないこと、留まること、上から語らないこと。抑制された脚色には、もはや潔癖さすら感じられる。

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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  • 作者: クリス・カイル,スコット・マキューエン,ジム・デフェリス,田口俊樹・他
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: 文庫
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