SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

八木良太(2014-2015)『サイエンス/フィクション』

 私たちの身の回りにはさまざまなモノがあふれている。そうしたモノたちは、それらしい形状をまとって生活に溶け込んでおり、個別に意識の対象となることはほとんどない。たとえば、誰もが知っている「たこ焼き器」を思い浮かべてみよう。正方形や円形の鉄製プレートに、平均すると二十個くらいの穴が開けられた、あの調理器具である。多くの人にとって「たこ焼き器」は単なる「たこ焼き器」であり、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。ところが、八木良太はそう考えない。彼によると「たこ焼き器」は、調理器具であると同時に楽器でもある。「Takoyaki Sequencer」(展示番号25)は、たこ焼きプレートに、たこ焼きを模した複数のピンポン球を並べた作品。それを上部からカメラで撮影し、取り込んだ映像を音に換えて、ループ音楽を再生する。ピンポン球の配置によって音が変化し、来場者は楽器のようにループ内容を操作することができる。このように八木は、調理という単一の《目的》のために使う実用的な《道具》に、まったく別のイメージを与える。

Works » Takoyaki Sequencer w/ Takehisa Mashimo

http://www.lyt.jp/works/?p=582

ここで展示のタイトルについて考えてみよう。『サイエンス/フィクション』とは何か。『サイエンス・フィクション』ではなく『/』となっていることに、もちろんヒントがある。八木の作品がフォーカスするのは、サイエンスとフィクションの共存ではなく、むしろその競合関係だからだ。「Takoyaki Sequencer」を例にとれば、「たこ焼き器」はこれまで、単一の目的に奉仕する道具というポジションに安住していられた。しかし、サイエンス(=リアルタイムの映像解析処理と音楽データへの変換)の登場により、その足場はぐらつく。「たこ焼き器」はただ「たこ焼き器」であればいいという認識が、ひとつのフィクションにすぎないと暴かれるからである。こうした関係性のあり方は、なにも調理器具に限ったものではない。私たちの日常もやはり、サイエンスとフィクションが拮抗する場としてある。映画『her/世界でひとつの彼女』で描き出されたように、精巧な人工知能が恋人の役割を担うまでになれば、今日前提とされている恋愛コミュニケーションの様式はすべてフィクションになってしまうかもしれない。

Works » Sea under the table

http://www.lyt.jp/works/?p=309

「Sea Under the Table」(展示番号32)も同様のコンセプトをもっていると言えよう。机の上に置かれたコードレスヘッドホンを装着して体験する、インスタレーション作品。ヘッドホンからは最初、水辺の音が聞こえてくる。というか、どれほど経ってもその音が続いているだけのように感じる。いったいこれは? そこへ補助員がやってきて、しゃがみ込んでみるよう身振りで言われる。するとヘッドホンが机の天板を下回ったところで、水辺の音が突然水中の音に変わった。作品名のとおり、これは「テーブルの下の海」だったのだ。「Takoyaki Sequencer」が調理器具の先入観を突き崩したように、「Sea Under the Table」は、ヘッドホンに対する我々の思い込み=フィクションをくつがえす。ヘッドホンに流れてくる音楽は、自らの聴取位置に左右されないと私たちは考えている。だから水辺の音がいつまでも続くと、単調だ、退屈だと切り捨ててしまいそうになる。けれどサイエンスの力を借りれば、しゃがむというひとつの動作だけで「海上」と「海中」を隔てるほどの変化が生じる。わずかなフローの差により、まったく別の世界が広がるのである。さて社会は、私たちが自明視するものの究極的には根拠のない認識=フィクションの集合で成立しているのだった。そのフィクションは今また、サイエンス=テクノロジーによって根本的に更新されつつある。そんな予感を親しみやすい感性で、具体的な手触りで、八木良太は伝えてくる。

公式ページ http://www.kanakengallery.com/detail?id=32993