SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

NOVEL

カズオ・イシグロ(2015)『忘れられた巨人』

イシグロはこれまでも作品ごとにスタイルを大きく変える作家として知られてきた。『わたしを離さないで』はSFの要素を大胆に盛り込んだ作品だったし、『充たされざる者』は底なしの不条理を描くリアリズム度外視の意欲作だった。それゆえ、実に十年ぶりと…

山下澄人(2015)『はふり』

(結末部分についての記述を含みます) 語り手の立ち位置のわかりにくさをどう受け止めるか。その一点で評価の分かれる作品である。その手法に必然性と説得力を感じれば、自然と評価は高いものになる。逆もまた然り。物語はこんなふうに幕を開ける。「わたし…

阿部和重・伊坂幸太郎(2014)『キャプテンサンダーボルト』

多くの読者は「純文学とエンタメの異色コラボレーション」という誘い文句に惹かれて、この本を手に取るのだろう。彼らはすでに阿部和重ないし伊坂幸太郎のどちらか(もしくは両方)の愛読者である可能性が高い。この小説最大の不幸は、彼ら自身のすぐれた作…

柴崎友香(2014)『春の庭』

この作品にはいくつかの、時間を超えたアイテムが登場する。主人公・太郎の父の遺骨を粉にしたすり鉢と乳棒、水色の外壁の家を二十年以上前に収めた写真集「春の庭」。トックリバチの巣や、旧日本軍の不発弾、ソファの隙間から出てくる乳歯といったものもあ…

よみがえる「砂の女」 —小山田浩子(2013)『穴』

一人称小説である。主人公の「私」は非正規雇用で会社勤めをしていたが、夫の転勤で同じ県内にある彼の実家のとなりに引っ越すことになった。「私」はなにを語るにも一歩引いていて、強い関心を持っている対象もなければ、人知れず欲望をためこんでいるわけ…

綿矢りさ(2013)『大地のゲーム』

綿矢りさがこんな作品を書く日がくるなんて想像もしていなかった。新作の舞台は震災を契機に学生たちが住みつくようになった大学のキャンパス。といってその地震は、すぐに思い当たるところの東日本大震災ではない。登場人物の父親による、「おれたちの昔経…

燃える箱庭 松家仁之と宮崎駿の想像力

『崖の上のポニョ』以来5年ぶりとなる宮崎駿監督作品は、ポール・ヴァレリーによる詩の一節で幕を開ける。実在した人物である堀越二郎。彼が試行錯誤を経て零式艦上戦闘機(通称・ゼロ戦)の設計に成功しながらも、押し止めようのない時流の中で敗戦を迎え…

村上春樹(2013)『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

これは『ノルウェイの森』の変奏曲ではないか。まずは登場人物に与えられた名前が、そうした連想を誘ってくる。主人公の多崎つくるが高校時代に親しかった四人の仲間は、みな姓に色を含んでいた。アカ、アオ、シロ、クロ。五人組のなかで、つくるだけが「色…

『あ、ストレンジャー』がいざなう解釈のワンダーランド

◆しっぽを失くしたウロボロスマームとジプシーによる公演『あ、ストレンジャー』を吉祥寺シアターで観た。タイトルの「あ」とは、ふいに誰かがストレンジャー=よそ者=異邦人として立ち現われてくるときの驚きを示した感嘆詞「あ!」なのだろうか。それとも…

オラシオ・カステジャーノス・モヤ(2004)『無分別』

執筆後、とある方にご講評をいただきました。文字どおりのフルボッコ。記事ごと削除したいくらいですが、自戒のために残します。ご指摘の箇所を赤文字・コメントを紫文字で表記。思いだすだけで赤面。 無分別 (エクス・リブリス)作者: オラシオ・カステジャ…

存在しない「桐島」と偏在する「椎名」 ―マッチポンプ式物語批判を脱臼させる『ここは退屈』のクールネス

今年の夏は例年にもまして周囲で映画の話題が聞かれたように思う。クリストファー・ノーランによるバットマン三部作の完結編や「日本よ、これが映画だ。」なるコピーが作品以上に浸透した『アベンジャーズ』。そこへスパイダーマンも加わってアメコミ原作モ…

大江健三郎(1967)『万延元年のフットボール』

『万延元年のフットボール』は、歴史に連なる大きなスケールの物語と、見ていて気の毒になるようなスケールの小さい登場人物たちが同居する、不思議な遠近感を持ったテクストである。根所蜜三郎は行き詰まっていた。息子は障害児として生まれ、妻とは始終ぎ…