SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

岩松了作・サンプル(2015)『蒲団と達磨』

岩松了による岸田賞受賞作。上演は実に二十七年ぶりだという。不明を恥じなくてはならないが、今回の舞台を観るまで、私は岩松氏のことをまったく知らなかった。事前に予習しておこうと思いネットで検索をかけると、岩松氏と、演出を手がけた松井周氏の対談記事が見つかった。この顔にはどこかで見覚えがある……。やや間を置いてピンときた。そう、ドラマ『最後から二番目の恋』である。長倉家の長女・典子(飯島直子)が出会い系サイトで若い男と知り合うのだが、その男の父親役が岩松氏だったのだ。けっこうひどい役。息子はまだ若いし将来もある。それよりも、どうです? ここはひとつ私と。ホテルの部屋はもう取ってありますから、みたいな。覚えていたのは、今にも舌なめずりが聞こえそうな下卑た笑い顔の印象が、とにかく強烈だったからだろう。不思議なもので、いざ舞台を観てみると、そのときのイメージと氏の戯曲はそれほど隔たっていなかったのだとわかる。『蒲団と達磨』では、三組の男女の行き違いが描かれる。夫と妻(春樹と雪子)、妻の弟とその妻(和也と時枝)、夫の妹と知人(久子とコンちゃん)のそれである。雪子は家とは別に部屋を借りようとしている。春樹は夫婦の性交渉に不満があるようなのだが、体裁を気にしてかそれをハッキリとは口にできずにいる。そうした関係性を表しているのが、春樹の蒲団の下に隠されたポルノ雑誌と手鏡だろう。何もそんな場所に隠さなくても……と考えてしまいそうになるが、事実は春樹が、そこにしか隠せなかったということではないか。秘事の隠匿に大したバリエーションなどないのである。さて、和也が時枝を襲うとき、同じようにコンちゃんが久子を襲うときの計二回、春樹の蒲団の下が暴かれる。そこで彼らは他人のリビドー(ポルノ雑誌)とエゴイズム(手鏡)に期せずして遭遇し、反射されて自身の姿にも直面することになる。ここで振り返ってみよう。『最後から~』において典子は、出会い系サイトの利用という直接的には性交渉(それも手軽で都合の良い)を求める振る舞いをしておきながら、若い男の父親=岩松了の、剥き出しのリビドーとエゴイズムを目の当たりにして、思わずその場を立ち去ったのだった。驚くほどに『蒲団と達磨』と地続きではないか? 具体的に誰なのかはわからないが、あのドラマに岩松氏をキャスティングした人物は、間違いなく『蒲団と達磨』を読んでいたのだ。