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最高のレクイエム ―坂元裕二が『最高の離婚』で葬送したものたち

関連エントリ:家族をめぐるイデオロギー対立のゆくえ —坂元裕二『最高の離婚Special 2014』

 『最高の離婚』の制作がアナウンスされたとき、まず目を引かれたのはキャスティングの妙だった。尾野真千子と真木よう子といえば、映画『外事警察 その男に騙されるな』での共演が記憶に新しい。国際テロの未然防止を目的とした諜報部隊=警視庁公安部外事課、人呼んで“外事警察”は、テロ工作への関与が疑われる貿易業者・奥田正秀の内偵を進めていた。松沢陽菜(尾野真千子)は奥田の妻・果織(真木よう子)を協力者=スパイとして取り込むため、接触をはかる。自分にも施設に預けた子どもがいると偽って近づく松沢に対して、親しい知人を持たない果織は次第に心を開いていく。だが、公園のベンチを共にして笑顔を交わしながら、松沢の目はまったく笑っていない。ふたりの思いは完全に別の世界にあったのだ。『外事警察』というギリギリの境界で切り結んだ彼女たちが、今度はどんなかたちで共演するのか。期待はいやがおうにもふくらんだ。それだけではない。尾野真千子と綾野剛といえば『カーネーション』だろう。洋裁店を経営するヒロインの糸子(尾野)は、終戦後に岸和田へやってきたテーラー・周防(綾野剛)と不倫の仲となる。貞淑な女性像を宗とするNHK朝ドラのなかでは異例の展開として、大いに注目を集めた。このふたりは日テレ系『mother』でも影のある恋人役を組んでおり、どこまでも因縁浅からぬ関係なのだ。要するに『最高の離婚』は、過去に強烈な印象を残してきた共演者同士を、確信犯的にセレクトしていると感じられた。それらの作品は、国際テロとスパイ、児童虐待といったシリアスなモチーフを据えている点で共通しており、視聴者にしてみると、彼女たちからはいまだダーティーな香りが立ちのぼっている。そしてなんといっても主演の瑛太。同じ木曜10時枠だった『それでも、生きていく』の胸苦しさは、いまにも蘇ってきそうだ。この作品も、少年犯罪の被害者・加害者家族を描くヘヴィなものであり、ラブコメタッチの『最高の離婚』とは対極にあるように思われる。ところが、両作品はともに脚本家・坂元裕二の手によるもの。となれば、主演に瑛太を起用したことも偶然ではありえない。『それでも~』の脚本 × 主演タッグをそのまま新ドラマにスライドさせたうえ、真木よう子 × 尾野真千子 × 綾野剛という“いわくつき”のトライアングルで脇を固める。こうして『最高の離婚』は、過去作品のレイヤーと本線のストーリーが交ざりあって多層的な“読み”をうながし、今クール屈指の話題作となった。

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◆レンタルビデオとジュディアンドマリー
『それでも~』の片鱗は、第1話にさっそく登場する。重要な小道具だったレンタルビデオ。妹が殺された日に深見洋貴(瑛太)が借りてきたアダルトビデオは、15年間ずっと押入れの奥で眠りつづけていた。レンタルビデオは、“返さなければいけないのに、返せていないもの”として深見家の負債を象徴していたはずだ。さて、光生(瑛太)と結夏(尾野真千子)は。

《第1話》
光生「(DVDを手にとって)これどうすんの? 延滞になってんだけど」
結夏「まだ観てない」
光生「ああそう」
結夏「明日観るから」
光生「……また延滞料金かかる」
結夏「忘れてたの!」
光生「わかった」
結夏「わかったなら機嫌の悪さアピールすんのやめてもらえる!?」
(…)
結夏「(もういい)返してくる」

『それでも~』のラストシーンで洋貴がビデオを返しにいくときのクライマックス感とは、あまりに対照的だ。『最高の離婚』のレンタルビデオ(DVD)はささいなケンカのきっかけとして、“どうでもよさ”を強調するために用いられている。15年かけて洋貴がやっと返せるようになったものが、第1話で早々に返却されてしまった。続いて第3話。レイヤーは重なっていく。大学時代に同棲していた光生と灯里(真木よう子)はなぜ別れてしまったのか。八戸出身の灯里はジュディアンドマリーのYUKIに憧れて上京してきた。自分に才能がないことを悟っていた灯里だが、ある日、光生にはすべて打ち明けようと決意し、大好きな「クラシック」を流しながら彼の帰りを待っていた。帰ってきた光生は。

《第3話》
「なにこのくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽だ」

灯里は次の日、なにもいわずに家を出ていく。誰かにとって切実なことが、他の誰かにとってはそうでなく、一緒に暮らす恋人たちにあっても例外ではないということ。エピソードの重みづけこそ異なるものの、結夏のDVDと灯里のジュディマリは、光生とのすれ違いという同じ相貌を見せている。他方、『それでも~』のジュディアンドマリーはずっと暗い色あいをまとっていた。妹の亜季が洋貴の同級生・文哉(風間俊介)に殺される直前に歌っていたのが、ジュディマリの「そばかす」だったからだ。

「想い出はいつもキレイだけど それだけじゃおなかがすくわ」

残された家族にとって、想い出はいつまでも美しいだろう。だが当然、それで満足などできるわけがない。『それでも~』においてレンタルビデオとジュディアンドマリーは、妹の死という“絶対に理解できないもの”と分かちがたく結びついている。それに比べてしまうと、『最高の離婚』はコップの中の嵐というか、痴話ゲンカの域を出ていないようにも映る。しかし、二つの作品は“理解しえない者同士の関わり合い”という点ではモチーフを共有しているのだ。返却されないビデオと「そばかす」のメロディが深見家の終わりの始まりを運んできたように、灯里は同棲を解消し、結夏は離婚届を提出する。二つの作品は違うようで似ている。似ているようでいて、やはり違う。そういった脚本家の目論見がもっともあらわになったのが、最終話「結婚って、拷問だと思ってましたが、違いました」だろう。坂元自身による『それでも~』評を押さえておく。

ある時点で、「ああ、これは、俺は文哉のことわからないよ」って思ったんですよね。どうしたら理解できるんだろうということはずっと考えていて、このままじゃドラマを終われない、文哉の幕を下ろすことができない思って、すごく不安だったんです。そして結局わからないまま終わったという、自分の中ではすごく悔しい、課題の残るドラマでしたけどね。
(…)
僕は黒沢清さんが大好きなんですけど、黒沢さんの映画の敵というのは、「得体の知れないもの」ですよね。でもそれは二時間で終わる映画だからこそ許されることであって、一一時間もかけて、「結局この人のことはわかりませんでした」というのはテレビドラマの作劇としておかしいと思うんです。だからテレビ屋としては敗北感でいっぱいで、本当にこの一年間ずっと心残りなんですよね。
―『ユリイカ 2012年5月号』所収「テレビドラマのど真ん中で 坂元裕二」青土社

周囲からの高い評価とは裏腹に、坂元は「悔しい」「敗北感」「心残り」などと強めの表現でネガティブな心境を語っている。その根底には、物語にダイナミズムをもたらすべく、見切り発車で“理解できないもの”を招き入れてしまったのではという後悔があるようだ。結果的に『それでも~』は、坂元が考えるテレビドラマ像とかけ離れたものになってしまった。『最高の離婚』はそのリベンジ作という意味合いを多分に持っている。そこで脚本家が最初に考えたのは、“文哉的なもの”をどう継承していくか、というポイントだったと思われる。『最高の離婚』で“文哉的なもの”を受け継いだのは灯里の夫・諒(綾野剛)だろう。諒は、婚姻届は出したと平気でウソをつく男。勤め先に泊まるといって、毎日のように他の女と寝ている。灯里への指輪も目黒川に投げ捨てる。周囲の人間を傷つけている自覚が乏しいことも、なぜ自分がそうしてしまうのか理解できていないことも、間違いなく文哉の造形に連なっている。文哉は、実の母親が子どもたちをうっとうしがって自殺したと思いこみ、自分は「生まれてこないほうがよかった」と感じるようになった。また、諒も駆け落ちした同級生の女の子に裏切られたせいで、「幸せになるのが苦手」になったという。さて、文哉と諒はどこで袂を分かつのだろうか。妊娠した子をひとりで育てると決めた灯里は、諒を、「またいろんな女の人と付き合っていけばいいじゃない、すぐに忘れられるよ、かんたんに」と突き放す。諒は。

《第10話》
「ここに来るあいだ、ずっと思ってました、その子の小さい手のこと」
「その子の小さい足のこと、まだなにも見えない目のこと」
「ずっと思い浮かべてました」
「これからのこと、その子がだんだん大きくなること、想像しました」
「あっという間に大きくなるんだな」
「そんなこと話す俺たちのことも思い浮かべました」
「今もそうです、この部屋には三人」
「二人じゃなくて、三人いるんだなって思ってしまいます」
「だから忘れられないと思います」
「その子が、大人になるまでのことを思い浮かべてしまったから」
「きっと、きっと一生忘れられないと思います」

文哉に足りないのは想像力だったのだ。

《『それでも、生きてゆく』第9話》
「死んだ人はいいよ。死んだ人は、死んだらそこで終わりだけど」
「殺したほうは、殺したほうは生きていかなきゃいけないんだよ」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、かわいそうだ」

殺した相手はそこで終わってしまうから、そこに、想像力をはたらかせる余地はなかった。“それでも生きてゆく”自分に対してしか、想像力は及ばなかった。たしかに諒は文哉に似ている。似ているようでいて、やはり違う。新しい生命への想像をつうじて、諒は灯里にしがみつくことができたのだ。そもそも、つねに刃物のような危うさを孕んでいる文哉と、間の抜けたやりとりがたえない諒では、威圧感からして別格ではあった。洋貴がウディ・アレンに変身したように、『最高の離婚』の文哉は、太宰治顔負けのチャーミングさをたたえている。

◆最終話と『リッチマン、プアウーマンinニューヨーク』
光生と結夏は、大地震のあと一緒に歩いて帰ったことがきっかけで付き合うようになった。その回想シーン。光生は話し相手をしてくれたお礼にと、たこ焼きをおごることにする。たこ焼き屋台の店主は時任三郎。そう、『それでも~』では加害者である文哉の父親役だった時任三郎だ。

《最終話・回想シーン》
店主「ふたりは恋人同士かな~」
光生「さっき初めてしゃべった感じで!」
店主「そうなの? お似合いだよ」

レンタルビデオでもジュディアンドマリーでもなく、物語がはじまるいちばん最初の地点から、『最高の離婚』は『それでも、生きていく』につながっていた。一度は故郷・富士宮へ戻ることを決めた結夏だったが、光生を駅まで見送るつもりが新幹線で新横浜まで。あの地震の日のように、ふたりは夜の街をまた歩く。そして偶然、あのときのたこ焼き屋と再開する。

《最終話》
光生「あの! 調布で前にお店出されてましたよね!?」
結夏「わたしたち、初めて会った日におじさんのたこ焼き食べたんです」
光生「それから仲良くなったんです、おじさんのおかげで」
店主「あ~そう。じゃあ、恋人同士になったの?」
光生「……夫婦になりました」

以上、文句なしのハッピーエンド。というか、ハッピーエンドがキマりすぎたせいか、結果的に、フジテレビ系月9ドラマ『リッチマン、プアウーマン』の特別編「inニューヨーク」とストーリーが丸かぶりしている、ということに気づいたのは、放送日の4月1日のことだった。海外赴任中の真琴(石原さとみ)は一週間だけ日本に帰国することになり、徹(小栗旬)のマンションへ。しかし、神経質で変人の徹の部屋には生活感がなく、家具はソファーひとつだけ。徹は真琴が冷蔵庫に貼ったマグネットをすべて払い落とし、タオルかけにタオルをかけることは絶対に、許さない。そうこうするうち、ささいなことからすれ違いが重なって、ふたりは別れることに……。(圧縮)でもやっぱりお互い好きだから!(圧縮)いちゃいちゃしながら徹のマンションに帰ってくると、タオルかけにはなんと徹のかけたタオルが……!(終)
振り返ってエピローグ、歯の治療を受けながら光生は。

《最終話》
「最近、自分改造計画っていうか、自分をガサツにする訓練してるんですよ。DVDあるじゃないですか。アレの読み取り側を下にして、テーブルに直で置くんですよ……うわー! 俺いまガサツなことしてる! って」

『それでも~』の脚本家・坂元裕二が、これほどすっきりしたハッピーエンドを認めたことに、釈然としない思いは残る。ひとつのヒントは、冒頭でも触れたキャスティングにあるのかもしれない。尾野真千子と利害関係でしか結ばれなかった真木よう子。綾野剛と添い遂げられなかった尾野真千子。そして、満島ひかりとどうしても一緒にはなれなかった、瑛太。それぞれの場所で、それぞれについえた思いがあった。仕方のないこととはいえ、視聴者の願望に応えられない面もあった。そうしたひとつひとつの思いは“成仏”することなく、いまも空気中を漂っている。であれば、せめて今回くらいは。いっそのことまとめて。バランスのとれすぎたエンディングを脚本家に選ばせたのは、そんなエクスキューズだったのではないか。じっさい私は、最終回の幕が閉じようとするとき、キャストの幸せそうな顔にどれほど安心したかわからない。面白いとかつまらないとかいう以前に、心底胸をなでおろした。今回こそは、今回だけは、瑛太と尾野真千子に幸せになってもらいたかったのだ。
もちろんそれは偏った見方にすぎない。たとえば、エピローグで光生がいったように、今回からはもうDVD=“15年前のレンタルビデオ”を丁寧に扱うのはやめたのだ、という解釈もできる。これなら直球だ。『最高の離婚』は実のところ脚本家の“自分改造計画”だった、と。ラストは灯里のセリフを引いて終わろう。

《第10話》
「わたし、愛情はないですよ」
「愛情はないけど、結婚はするんです」
「現実的な選択をしたってことです」
「でもまたいつか、浮気するかもなって、思います」

今回は視聴者と幸福な関係を取り結んだようにみえる坂元裕二。またいつかの浮気に、早くも期待したくなってきた。 

(了)