SUPPING CULTURE REVIEW

批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

村上春樹(2013)『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

これは『ノルウェイの森』の変奏曲ではないか。まずは登場人物に与えられた名前が、そうした連想を誘ってくる。主人公の多崎つくるが高校時代に親しかった四人の仲間は、みな姓に色を含んでいた。アカ、アオ、シロ、クロ。五人組のなかで、つくるだけが「色彩を持たな」かったという。このバリエーションには注意が必要だ。アカとアオはいるのに、もうひとつの三原色=ミドリは出てこない。これは『ノルウェイ』に登場した「緑」が、村上作品において特別な地位を占めているため、と捉えるのが妥当ではないか。本作では、つくると交際する年上の女性・沙羅に緑の姿が投影されている。沙羅は明朗で行動力があり、つくるの生命力を引き出す。他方、本作のシロ(白根柚木)は『ノルウェイ』の「直子」に連なっている。直子が山奥の療養施設で首を吊って自殺したように、シロは仲間たちが暮らす名古屋から離れた場所=浜松のアパートで絞殺されてしまうのだ。テーマについてはどうか。『ノルウェイ』で桎梏となったのは、直子が最愛の恋人「キズキ」とセックスできなかったこと、にもかかわらず「僕=ワタナベトオル」を相手に、「すごく濡れて」「頭がとろけちゃいそう」になってしまったことだった。深層でワタナベを欲望していたに違いない直子は、キズキとの関係にあって、抑圧を強いられる。同じように、つくるたち五人もグループの調和を保つため、「異性の関係を持ちこまないように注意」していた。アオはクロのことを、クロはつくるのことを、そしておそらくつくるはシロのことを、心の底では求めていたとわかってくる。親密圏での性的抑圧が登場人物を苦しめるという構図は、『スプートニクの恋人』の「すみれ」や『ねじまき鳥クロニクル』の「クミコ」にも通じる、村上作品の中心的なテーマといってよい。多くを共有する『ノルウェイ』と『多崎つくる』においては、その差異こそが重要となる。ひとつには時間軸だ。『ノルウェイ』は十八年前のできごとを回想する物語。意地悪くいえば、もう取り返しがつかないからこそ、変えようがないからこそ、安心してノスタルジーとナルシシズムに浸ることができる。一方の『多崎つくる』は徹底的に今・ここが焦点であり、つくるが沙羅と向き合い、現実的な関係を築いていくためにこそ、過去との直面が必要とされている。そしてふたつめに、この作品で鍵となるのは、どこまでも登場人物の名前だった。

僕は今どこにいるのだ? でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。
(…)
僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。
―『ノルウェイの森(下)』講談社文庫、293頁

 ワタナベトオル。『ねじまき鳥クロニクル』の「オカダトオル」と名を一にする彼は、直子と緑のあいだで揺れ動き、感情をただただ自分のなかで通過させる消極的な主体としてある。

「そしてあなたは夜明け近くまで、私のためにせっせと休みなく特製の駅をつくってくれているわけね?」
「そうだよ」とつくるは言った。「君のことが心から好きだし、君をほしいと思っているから」
―『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、346頁

 多崎作は鉄道会社に勤めるエンジニアなのだ。彼は沙羅が安心して留まれるような、「特製の駅」をつくる人間となる。『ノルウェイ』と『多崎つくる』は一見似ているようで、やはり違う。直子を偲んでレイコさんとセックスするワタナベと、フィンランドの湖畔で静かにクロと抱き合うつくる。そのズレについて考えてみるのも、本作の愉しみのひとつだろう。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年