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批評同人誌『PENETRA(ペネトラ)』のメンバー。ジャンルフリー、ネタバレありです。https://penetra.stores.jp

燃える箱庭 松家仁之と宮崎駿の想像力

崖の上のポニョ』以来5年ぶりとなる宮崎駿監督作品は、ポール・ヴァレリーによる詩の一節で幕を開ける。実在した人物である堀越二郎。彼が試行錯誤を経て零式艦上戦闘機(通称・ゼロ戦)の設計に成功しながらも、押し止めようのない時流の中で敗戦を迎えるまでの半生が描かれる。飛行船の操縦士に憧れていた堀越少年。致命的なことに、彼は近眼だった。だが空への思いが萎むことはなく、航空機の設計へと夢を転じる。先取りすれば、堀越二郎という人間の空にかける純粋な思いやひたむきさといった、本来的にはポジティブであるはずの心情が、戦闘機=兵器の性能向上へとストレートに変換されてしまうアイロニー。そのねじれが作品にダイナミズムを与えている。そうした関係性についてはいくつかの解釈が可能だろう。たとえば、戦争は総体として人間の悪しき側面の凝縮のように映るが、それを支えているのは往々にして善良な人々である。ロバート・オッペンハイマーの開発した原子爆弾は人類に甚大な被害を与えたが、彼自身に大量殺戮の意思があったわけではない。アドルフ・アイヒマンが無数のユダヤ人を「効率よく」アウシュビッツに送り込んだのは、職業的な倫理観にもとづいてのことだったかもしれない。

あるいは監督自身を堀越と重ねる見方もある。反戦主義で知られる宮崎氏。映画公開に際して行われたいくつかのインタビューでは、武器や飛行機といった戦争と切り離せないものへの愛着も語っている。戦時となればより顕著だろうが、人は与えられた環境のもとでやっていくしかない。また、彼の作りだしたものが世の中にいかなる影響をもたらそうと、究極的にはその責任をとらなくてはならない。戦闘機の設計だろうとアニメーションの制作だろうと事情は同じだ。うつくしい戦闘機は疑いなく死体の山を築き上げるし、良質なアニメーションは誰かを犯罪に駆り立てるかもしれない。それでも風立ちぬ、生きめやも、ということ。この作品を宮崎監督の遺作ととらえる向きがあるのも頷ける。しかし私は、映画がエンディングを迎えるころには、まったく別のことを考えていた。(続)

⇒全文は2013年11月4日(日・祝)開催、第十七回文学フリマで販売する批評同人誌『PENETRA』第3号に掲載します!ブースはK-07。 

火山のふもとで

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